SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

(1/2)雑学:90年代の競馬

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90年代の競馬って、ある種異様だったんです。
私も競馬を見始めたのはこの90年代からです。

90年代の競馬がいかに普通じゃなかったか、いくつか昔話的に残しておきます。

特に「突然のグローバル化」ってのが叫ばれて(誰が言い出したかは分かりませんが)急速な発展・改変が実行されたのがこの90年代なんですねぇ。

レースの改変が異様

いまでこそ定着したGIレース、重賞の改廃は今でもそれなりに実施されていますが、権威あるGIレースはそうそう番組改変の影響はありませんでした。
八大競走時代はそれこそ10年に一回にオオゴトのペースでGIが新設されるほど緩やかなペースで増えていましたが、このGIレースが一気に増えたのが90年代です。
90年にスプリンターズSがGI昇格、これを皮切りに一気にGIが増えていきます。
96年には一気にGIを三つ誕生させます。GⅡ高松宮杯をGIに昇格、短距離馬向け春の大目標としてGIのNHKマイルカップを新設、秋のエリザベス女王杯を古馬に開放し代わりのレースとしてGI秋華賞を新設、と三つのGIが一気に新設されレース体系が整えられます。(ちなみに高松宮杯は98年に高松宮記念とレース名を改定しますがそれまでの二年間は同名でレース開催していました。)
95年くらいから地方馬出走の門戸を限定的に開放してライデンリーダーがブームを起こしましたが、このごく一部の強豪地方馬の勢いもあってか97年にはGⅡフェブラリーステークスを昇格し初のダートGIを新設します。
90年代の最後(正確には2000年ですが)ダート馬のさらなる秋の大目標となるジャパンカップダートが新設されます。
そしてこれ以降は2006年第一回ヴィクトリアマイルの新設までGIは新設されていません。さらに現在2016年ですが、この10年の間でGIが新設はされていません。

いかにこの90年代のGI新設スピードが異様だったかがうかがいしれます。
よく読んでいた競馬雑誌では「GIのインフレが起こる」みたいな論調を度々見かけたものです。

GI新設以外にも実は、宝塚記念は7月7日七夕で実施することで冬の有馬記念のカップル競馬(若い男女が競馬場でデートすることをここではカップル競馬と呼びます。)を、春のオールスターでも情緒的にして来場客を増やす目論見が試行されたり、夏競馬を盛り上げるため夏競馬ど真ん中にGIを作ろう計画があったり(のちに見直されサマー2000とサマースプリントという催しに変わりました。)1400mの短距離GIを新設するという計画があったけど実効性が不明なのでポシャッたり(のちにGⅡ阪神カップが年末の1400m戦として新設されました。)と、このようにかなり現在の番組編成に影響がある計画がブチ上がったのも90年代が発端だったように記憶しています。
※ちなみにソースはないのですが、この辺の計画はGallop・ブックのような週刊誌や他の月刊競馬雑誌のニュースでJRAの動向として掲載されていました。

明日に続く

90年代の日本競馬ではまず真っ先にレース体系の急速な改変が一番印象的です。
ですがこれ以外にもいくつかの(現在では考えられない)ポイントがあるんですが、
続きはまた明日。