SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

(2/2)雑学:90年代の競馬

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昨日の続きです。
 リンク⇒(1/2)雑学:90年代の競馬 - SpecialなWeekを目指す競馬日記



今日は種牡馬と外国産馬について記憶している印象を書いてみます。

種牡馬が異様だった

種牡馬の勢力図がとにかく異様でした。
まず90年代を語る上で欠かせないのがトニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスの三頭で、これらは供用開始後の初年度産駒がいきなりGIを勝つという華々しい産駒デビューを飾ります。この三頭の活躍によって「クラシックは新種牡馬から」という言葉が定着します。が、結果としてはずーっとサンデーサイレンス産駒が一時代を築きたまにトニービン&ブライアンズタイム産駒がサンデーサイレンス産駒を上回る、という構図になっていました。
90年代前半はノーザンテースト全盛期の後半で、90年代に入ってしばらくしてからはとにかくこの通称御三家の産駒が中央競馬を席巻するという構図でした。サンデーサイレンス産駒(と孫世代)で占領される重賞レースもあったくらいです。
POGでもとにかく名牝のサンデーサイレンス産駒が優先されていた時代でした。
この時代のイメージは

  • トニービンとブライアンズタイムはとにかく最高の名牝レベルに種付けする必要がある=名馬が誕生する
  • ブライアンズタイムは並みの牝馬でもダート馬として成功する傾向がある
  • サンデーサイレンスはどんな牝馬でも成功する産駒が誕生することがある

という傾向があった印象です。ただサニーブライアンのように決して最高級の名牝とは言えない牝馬からもクラシック二冠馬が誕生していることからサンデーサイレンス並みの潜在能力はあったような印象はあります。この間ニュージーランドトロフィーを勝ったダンツプリウスの父がブライアンズタイムです。御三家最後の生き残りは最後まで活躍馬を輩出し続けた点はかなり驚異的です。
ちなみにこの通称御三家に隠れていますが、私の好きなナリタタイシンの父リヴリアも新種牡馬で初年度産駒クラシック勝ち、ってのもあります。輸入新種牡馬が旋風を巻き起こしたのがこの90年代後半です。
このブームから考えると、輸入種牡馬全盛期の時代にGI馬を輩出したサッカーボーイやメジロライアンは凄かったという見方もできますね。何せ名牝は全部御三家や他の輸入種牡馬と交配されて牝馬が限定されている中での名馬輩出ですから、本気出したらどうなっていたか分からないものです。こんなこと言うから当然ですが、ナリタトップロードもメジロブライトも大好きです。

外国産馬が時期限定でとにかく強い

主に現在の馬齢でいうところの二歳デビューから三歳夏、秋くらいまでの完成度だけで比較すると「外国産馬は圧倒的に国内生産馬より強かった」と言えます。
能力って何を指しているの?という点で多少の議論の余地がありますが、とにかくデビューからスピードに物を言わせて勝ちまくる、成長力は二の次、という考え方で言えば外国産馬は内国産を上回る完成度で勝ちまくっていた時代です。
現代ではそんなことはありませんが、当時創設されたNHKマイルカップには外国産馬が殺到して○外ダービーなどと揶揄されたものです。
強くイメージに残っているところではまずはマイネルラブのマイネル軍団(二歳戦と言えばマイネルでした)、エイシンワシントンのエイシン軍団、ヒシアマゾン・ヒシアケボノのヒシ軍団、タイキシャトル・タイキブリザードのタイキ軍団、シンコウキング・シンコウフォレストのシンコウ軍団、などが印象に残っていますね。
他にもグラスワンダー・エルコンドルパサーなどは出走の都度、注目されたものです。
とにかく安いのに完成度の違いで二歳戦・三歳戦でスピードにモノを言わせて勝ちまくるのが人気の理由でした。外国産馬に席巻されて日本の競馬が○外ばっかりじゃないか、というなか唯一健闘していたのが前出の御三家種牡馬産駒です。

と、このように急速なグローバル化、急速な改革によって犠牲になったものもたくさんありますが、90年代から2000年代を経て、世界で戦える日本競馬が生まれた、という年代と言っても過言ではない、という点がこの90年代です。

90年代は世界に挑戦しても日本馬最下位って当たり前でしたよねぇ。