SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:思い出の名ジャンパー、ポレール

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ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

先週、有馬記念のファン投票最終結果が発表されましたね。
今日はその有馬記念に出走で話題を集めたオジュウチョウサンにちなんだ話題を。

障害最強馬が挑戦する「次のステージ」

オジュウチョウサン、2016年から今年春のの中山グランドジャンプまで障害レースの頂点に君臨し、丸二年間もの間、障害レースで勝ちまくった文字通り「障害最強馬」の名をほしいままにした名ジャンパーでした。

そんなオジュウチョウサン、4月の中山グランジャンプで勝利を収めると、平地競走に戻ってきます。しかも鞍上は武豊JKを配して500万下クラスからの挑戦。
ちょうど何かのジャンルを極めた王者が新しいジャンルに挑戦するようなイメージでした。そして個人的には(これはホント申し訳ないのですが)
「話題先行であり、やはりそううまくいくもんじゃないのではないか」
と思っていました。
そんな邪推を嘲るように、500万下の平地競走である開成山特別を二着に0.5秒差をつけて圧勝、上がり三ハロンのタイムはメンバー中最速の脚というおまけつきで勝ち上がります。
続く1000万下のレースでは人気こそ三番人気でしたが一番人気の馬を半馬身おさえての快勝、平地競走で二連勝することになりました。

そんなオジュウチョウサン、見事有馬記念ファン投票で10万票を超える得票によりファン投票三位、有馬記念の優先出走権を手にすることになります。
障害で丸二年間勝ち続けた障害界の王が、平地競走である暮れのグランプリ有馬記念に参戦することが決まった瞬間といえます。

勝ち切らないまでも、やはりその走りは楽しみなものです。

そんなオジュウチョウサンの記事を方々で目にすることで、昔の記憶がよみがえってきました。それはある名ジャンパーの話。

障害の雄、その名はポレール

障害界の強豪は勝ち続けることで負担する斤量がどんどん増えていきます。オジュウチョウサンも63キロ未満の斤量で出走できるレースは少なくなっていることでしょう。
そこで平地競走に矛先を変えたというポイントも要因の一つじゃないかと思っていますが、90年代にもこういうことが実はありました。
中山大障害の三連覇を達成したポレールもそんな障害界の王でした。

ポレールはオジュウチョウサンほど連戦連勝というわけではありませんでしたが、中山大障害というビッグレースを三連覇する「障害界の一時代を彩った名ジャンパー」と言えます。ポレールが頭角を現す前にはリターンエースという名ジャンパーが7戦7勝の連戦連勝で「障害界に新たな最強馬が誕生する」と言われていました。しかしリターンエースは暮れの中山大障害を目指していましたが、残念ながらケガで引退を余儀なくされ惜しまれつつ引退となっていました。
思えばこのリターンエースの引退した翌年の96年から障害最強馬の地位を引き継ぐようにポレールが頭角を現し始めます。
仲間内では障害レースを「分からないもの」としてやらない競馬ファンは多かったのですが、別のハラハラドキドキを楽しむ障害レースは(平地競走での的中が少なかったため)レース自体を楽しめる点でハマっていました。
※ちなみにサムソンビックと言う馬が障害に転向したとき、私の仲間内ではちょっとした騒ぎになっていました。しかもレコード勝ちしちゃって。

そんな折、96年2月東京障害特別(春)というレースで単勝に選んだポレールが見事にクビ差の接戦を制して勝利します。そこからポレールと言う馬は
「障害レースをやる時には必ず選ぶ馬の一頭」という位置づけになっていました。

当時(90年代)障害レース体系はグレードすらないほどに全く整っていない環境ではありましたが、障害馬にとって大一番と言える中山大障害(日本で一番歴史と格が上のジャンプGI)では主戦の星野忍JKを背にきっちり勝ち切るという活躍を見せていました。三連覇がかかった中山大障害では主戦の星野JKが引退していたため、95年(96年だったかも)に障害で驚異的な好成績を出していた出津JKを背に先頭でゴールを駆け抜け三連覇を達成することになりました。

しかし、この18年ぶりの三連覇の偉業にはポレールの以後の活躍を阻害する別の問題がありました。

今とは違う斤量の問題

当時、競馬雑誌の記事を読んでへぇ~、と思っていたものですが、障害レースではどのレースでも別定戦なので斤量が賞金を稼げば稼ぐほどに斤量が増えていきます。その負担重量に上限はありません。
現在ほどルールが整備されていなかったゆえに、馬への過大な負担になるようなルールになっていました。
中山大障害三連覇で輝かしい実績を残したことによって、どのレースを出走するにしても負担重量が65キロ以上の斤量を背負うことになります。
斤量60キロすらお目に掛かれない現代の競馬では考えられない65キロの斤量、ぶっちゃけ60キロ背負わされたらさすがに一流馬でも格下にコロッと負けちゃいますよね。

96年春から始まったポレールの快進撃は、97年春の中山大障害勝利で大きな分岐点を迎えることになりました。

障害界の雄が平地GIに参戦する

陣営が選択したのは天皇賞春の参戦、今まで平地には存在しない4000mを超える中山大障害というレースを幾度となくこなしてきたポレールの次のステージは、長距離GI、別名を春の盾と呼ばれる天皇賞春でした。

今年2018年有馬記念参戦のオジュウチョウサンとは違って、あまり話題にはなりませんでしたが、96年のジャンプレースをポレール推しで観戦してきた私にとってはかなりアツい見どころの一つとなりました。

※ちなみに本来の見どころはサクラローレルvsマヤノトップガンです。マヤノトップガンのファンでしたのでサクラローレルにどうリベンジするか、こればっかり考えていました。

ポレールは93年デビュー時の新馬戦を勝利していたことで、天皇賞に出走できるんですよ、みたいな記事を読んだ記憶があります。今年のオジュウチョウサンは未勝利戦を勝ててなかったので、平地で条件戦を勝利する必要があったわけですね。

ただ、さすがに障害界の雄も平地では分が悪い、そう考える人は多かったようです。当然人気を集めるわけでもなく単勝万馬券という一介の穴馬に過ぎない評価でした。
それでも、記念馬券として、天皇賞春という八大競走でも最も権威のある平地GIに出走するポレール、というシチュエーションに感じるものがあって、記念馬券として単勝を。

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結果は当然と言えば当然ですが、16頭立て、一頭が競走中止のなかで12着、何とも言えない結果でした。
「そうだよね、ポレールは、竹柵や水濠を飛越してナンボ、なんだよ。」
仲間内の会話でそんなことを言ってました。

その後ポレールは障害オープンを一勝、同年中山大障害で一番人気するも斤量6キロ差が響いたかケイティタイガーに競り負け二着、の好走を最後に精彩を欠き、2000年中山グランドジャンプでの競走中止を最後に競走生活を終えることになります。

記憶に残る名ジャンパー

個人的に記憶に残る名ジャンパーは何頭かいますけど、やっぱりポレールは別格でした。
2000年の引退から誘導馬となり2010年に誘導馬も引退、同年天に召されました。

新馬戦を勝利するも500万下を勝てず挫折するも、障害レースに活路を見出し一時代を築き、とうとう八大競走の一つ天皇賞春に出走するまでに成長したポレール、なんだかこう響くものがありますよね。諦めないこと、大切だよ、って。

2018年12月23日、有馬記念

このレースに、名ジャンパーであるオジュウチョウサンが出走します。
ポレールほどの思い入れがあるわけではないのですが、どんな走りをするのか、刮目してレースを観戦したいと思います。