去る6月5日のこと。
3歳(旧馬齢表記で4歳)で有馬記念を制した名馬シルクジャスティスが老衰のため亡くなったそうです。
引退してから25歳まで元気に生きたシルクジャスティス。あの剛脚は忘れない。
シルクジャスティスを知ったのは
シルクジャスティスを初めて認識(※)したのは(当時のレース名で)京都4歳S。
鞍上はこれまでも何回か騎乗している漢・藤田伸二JKでした。このころは「乗り替わりの藤田JKの一発」というパターンがあって、乗り替わりで警戒したい鞍上。
実際レースになってみればスタートこそ最後方をウロウロするような走りだったものの、三コーナーでは徐々に前に進出し、上がり三ハロンメンバー中最速の脚である34.7秒をたたき出して他馬とレベルの違う末脚を発揮して快勝しました。
(※)実は、シルクジャスティス自体は認識していなかったのですが、オープニングテーマというシーキングザゴールド産駒が勝利した10月27日の京都3R新馬戦をオープニングテーマのデビュー戦見たさにWINSに観戦に行っており、このとき(その他大勢という見方だった)シルクジャスティスも姿は(意識していないけど)見ていました。
そういう意味では認識したのはやっぱり京都4歳Sだったと言えます。
この年はブライアンズタイム産駒の当たり年と言われていて、サンデーサイレンス産駒全盛と言われていた時期でしたがブライアンズタイム産駒に注目が集まっていた年でもありました。
サニーブライアン、マイネルマックスといったGI馬をはじめとして、セイリューオー、ヒダカブライアン、シルクライトニング、ポートブライアンズ、エリモダンディー、と重賞戦線を沸かせた有力馬が例年より多く輩出された年でもあります。またメジロライアン産駒のメジロブライトやランニングフリー産駒のランニングゲイルがオールドファンの心を熱くしたクラシック世代でもありました。
一足先にブレイクしたマイネルマックスやサニーブライアンとは対照的に、シルクジャスティスは出世が遅れたものの、この京都4歳Sで一躍ダービーの有力候補になったという記憶があります。
また、この世代はメジロライアン産駒メジロブライトで盛り上がっていた世代、サンデーサイレンス産駒全盛期と言える時期に突然現れた父内国産馬の星と言えるメジロブライト、当然のように皐月賞とダービーでは一番人気に推され、クラシックの有力候補と見られながら、ブライアンズタイム産駒のサニーブライアンに春のクラシック二冠を持ってかれた、そんな年でもあります。
有馬記念でまさかの勝利
菊花賞の前哨戦となる神戸新聞杯敗戦後、思い切ったローテーションとして古馬相手の京都大賞典に出走したシルクジャスティス。ここで快勝といえる内容で古馬相手に見事に勝利を収めました。これによって菊花賞ではメジロブライトを抑えて一番人気に推されたシルクジャスティス。
しかし菊花賞は自慢の末脚が不発、展開も向かなかったのもあってマチカネフクキタルの五着に終わりました。メジロブライト(三着)にも先着を許し、クラシック三冠は幕を閉じました。
その次走はジャパンカップ、勝ったピルサドスキーと同じ上がり三ハロンメンバー中最速の脚を使ったものの道中の位置取りが後ろ過ぎたか五着に終わりました。
クビ差二着のエアグルーヴや三着のバブルガムフェローを上回る上がり三ハロンの脚を使っていることを考えると、3歳(当時の馬齢表記で4歳)にして非凡な才能を持っていたことがうかがい知れます。
その年の有馬記念にも出走し、古馬顔負けのタフなローテーションでその年を締めくくることになりました。
同期のGI馬メジロドーベルやマイネルマックスも出走していましたし、先のジャパンカップで先着を許したエアグルーヴも出走していましたし、前走天皇賞秋で四着に敗れたもののGIを初勝利するのは時間の問題と思われていたマーベラスサンデーが一番人気に推されていました。
そんな豪華メンバーが揃った中で、道中でも後方から五番手六番手くらいを追走していたシルクジャスティスが、三コーナー付近から徐々に仕掛け始めて、前を行くマーベラスサンデーやエアグルーヴを一気にかわすと直線鮮やかに突き抜けて勝利、マーベラスサンデーではなくシルクジャスティスがこの有馬記念でGI初勝利を手に入れた瞬間でした。
この勝利を見たとき、「4歳(当時の馬齢)で有馬記念を制するなんて、こりゃブライアンズタイム産駒の時代が再び来るんじゃないか」なんて思ったものでした。実際ブライアンズタイム産駒はこの年かなり活躍していましたし。
知人が一口馬主だった
ある知人(だいぶ年上)が実はシルクジャスティスの一口馬主だった、という話を京都大賞典の勝利後に聞いていたので、この有馬記念を外した後で友人からは、
「もちろんオレは本命シルクジャスティスよ。なんで、彼が一口持っているの知ってて有馬記念でシルクジャスティス予想から切ったわけ?」
なんていじられたものです。
GI勝利の栄誉、現代ほど一口馬主の存在が一般的ではなかった時代です。クラブ馬がGI勝ち切るシーンもなかなかお目にかかれないような時代でした。
さっそく有馬記念後に「おめでとうございます。」と伝えにいった時のこと。
その知人(だいぶ年上)は、静かにうれしさがこみ上げてくる笑顔を見せながら、
「いやぁ、シルクの馬はね、早田牧場と繋がりがあるから、いつかやってくれると思ってたんだよね。」
「リアルシャダイが成功していたから同じ父を持つブライアンズタイムもナリタブライアン以外の成功もあると思っていた。」
などと、饒舌に語ってくれました。
そのとき、一緒におめでとうを伝えに行った友人は有馬記念でシルクジャスティスを本命にしていたのですが、私はシルクジャスティスを切ってしまっていたので、内心は「シルクジャスティスを信じられなくて、正直スマンカッタ。」って思ったものです。
燃え尽きた…?
しかしその翌年、古馬になったシルクジャスティスは阪神大賞典をメジロブライトの後塵を拝して二着に敗れた後、一番人気に推された天皇賞春でもメジロブライトから0.5秒差の四着に敗れてしまいます。
そしてタイミングが悪いことに、有馬記念での剛脚が忘れられなかったものですから、古馬になってからシルクジャスティスを何度本命にしてしまったことか。
続く宝塚記念は伝説となったサイレンススズカのGI初勝利のレース。ここでは
「サイレンススズカの適距離は2000mまで、持つわけない。」
などと謎の持論を展開し、メジロブライト本命のシルクジャスティス対抗でおさえにステイゴールドという謎の勝負に走ってしまいます。
結果はゲートで立ち上がって暴れたメジロブライトが外枠発走となり、レースでも内ラチに接触し、その上直線でも不利を受けて全くレースにならず惨敗、シルクジャスティスも上がり三ハロンメンバー中最速の脚(エアグルーヴとタイ)を使いましたが6着に敗退しました。
立て直しを図った京都大賞典は少頭数7頭立てのレースで、逃げ馬セイウンスカイ以外の馬が全員追い込み馬という、セイウンスカイのためのレース展開となってしまいあえなく撃沈。メジロブライト、シルクジャスティス、ステイゴールドという人気サイド三頭で狙った京都大賞典もシルクジャスティスは三着とまたしてもメジロブライトの後塵を拝する結果に終わりました。
その後のシルクジャスティスはまるで燃え尽きてしまったかのように、着外を連発、自慢の末脚も不発に終わり、全く馬券にならなくなってしまいました。
それでも長距離戦では上がり三ハロンはマズマズ速い脚を使って掲示板争いには加わってきたものの、やはり馬券にはならず、99年の天皇賞春を最後に、ケガで休養、一年後復帰した金鯱賞でシンガリ負けとなり、引退することになりました。
こうして引退したシルクジャスティスですが、その活躍から種牡馬になることができたため、その仔に夢をつなぐことになりました。
しかし種牡馬の世界は厳しい
種牡馬入りできたシルクジャスティスでしたが、競争相手はホント強い、種牡馬として全盛期バリバリのサンデーサイレンスに父であるブライアンズタイム、さらにトニービン、サンデーサイレンス産駒の活躍馬も活躍しなかった馬もたくさん種牡馬として供用されていた時代でした。
こんな中で種付け相手を見つけるのも容易ではなく、決して産駒に恵まれた種牡馬生活だったとは言い難いシルクジャスティスでしたが、それでも中山大障害を勝利するバシケーンを輩出し、やはりその強さの片鱗を見せる一面はありました。
自慢の末脚で競馬ファンを魅了したシルクジャスティス。
大事な思い出の一ページに存在しています。