SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:サクラローレルが亡くなる

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また、訃報です…。
サクラローレルがマヤノトップガンやマーベラスサンデーに続き、老衰で亡くなったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。

サクラローレルを初めて知った時

サクラローレルはその素質を認められながら、慢性的な脚部不安によって出世が遅れた遅咲きの大器というべき存在でした。遅れてきた大物ともいうかもしれません。

青葉賞で90年代でも最強レベルのステイヤーであるエアダブリンの三着に入線、しかも僅差の0.1秒差というタイム差だったので重賞を勝つのは時間の問題と思われていたのですが、そこからが脚部不安と戦いながらの出走で重賞初勝利は四歳(当時の五歳)の中山金杯までおあずけとなっていました。
しかし、重賞初勝利の直後、当時2月施行の目黒記念で二着してからケガで一年間の休養に入ります。
復帰戦は翌年の3月中山記念でした。
既に主戦だった小島太JKは引退(96年2月引退なので、サクラローレル復帰戦の1ヶ月前に引退したことになります。)しており、鞍上は新パートナー横山(典)JKに乗り替り、しかしテン乗り横山(典)JKは鮮やかな手綱捌きで中山記念を勝利に導きます。

続く天皇賞(春)、世の中は前走の阪神大賞典でクビの上げ下げでハナ差の接戦を演じ、GI並み盛り上がった阪神大賞典の主役であるマヤノトップガンとナリタブライアンの二騎での一騎打ちとみられていました。

実際このときの私はマヤノトップガンを大本命に見ており、ナリタブライアンに惜敗した前走から巻き返すと予想していました。

しかし結果は、マヤノトップガンは大敗、ナリタブライアンの復活勝利を打ち砕くサクラローレルの快勝、中山記念をステップとしたサクラローレルがナリタブライアンを豪快にかわして先頭でゴールイン。

サクラローレルが一年ぶりに勝利した中山記念から連勝で天皇賞(春)を制覇、同期の三冠馬ナリタブライアンを下して一躍古馬の中長距離戦線の中心に立った瞬間でした。
たしか、このレースはテレビで見ていたのですが、
「昨年の金杯で素質馬が開花、天皇賞(春)の有力候補といわれていたのですがケガで一年棒に振りました。そんな忘れ物を取りに来たサクラローレルでしたね。」
というコメントが印象に残っています。

この、天皇賞(春)で初めて、サクラローレルという存在をはっきりと認識するようになりました。

古馬の三強、その筆頭

こうしてサクラローレルは徐々に頭角を現していき、マーベラスサンデーとマヤノトップガンと揃って古馬の中長距離路線でしのぎを削ったことから、この三頭で三強と称され、その三強の中でも筆頭格の扱いを受けるようになります。

ナリタブライアンの世代はナリタブライアン以外はそんなに強くない、そんな風潮が一部の競馬ファンにあったように記憶していますが、レインボークエスト産駒という日本では珍しい血統の持ち込み馬であるサクラローレルは、そんな競馬ファンに思い知らせるように強さを発揮し続けます。
秋のオールカマー圧勝、マヤノトップガンを四着に下しての勝利、続く天皇賞(秋)では外枠となる8枠16番という圧倒的に不利な枠順によって四歳馬(いまの三歳馬)バブルガムフェローの快走に三着に屈してしまいます。二着のマヤノトップガンに先着を許してしまう結果でしたが、枠の巧拙が出た敗因のはっきりしたレースで続く有馬記念でも圧倒的一番人気に応え、二着マーベラスサンデーに二馬身半の差を付けて快勝でした。

マヤノトップガン贔屓だった自分の中では完全にサクラローレルは倒すべき最強馬な存在になっていました。

97年天皇賞(春)、雪辱戦

97年天皇賞(春)はかなり特別なレースになっていました。
マヤノトップガンは前走阪神大賞典を後方からの追込み一気で快勝、四歳(いまの三歳)有馬記念制覇時に逃げて以来、先行くらいでレースを進めていたマヤノトップガンが菊花賞の前哨戦である京都新聞杯で見せてくれたお終いの脚を活かしたレース振り。

これなら勝てる、きっと勝てる。

なんだか理由のない自信に満ちて97年天皇賞(春)を迎えていました。
周囲にも
「マヤノトップガンが雪辱戦や!」
なんて、威勢の良いこと言っていましたが、なにげに友人(この友人の本命はステージチャンプ)から
「サクラローレルは強い、脚質云々じゃない。」
なんてたしなめられていました。

レースになって、マヤノトップガンは後方待機、サクラローレルは三コーナー付近から仕掛け、スーッと外から上がっていくと一気に二番手に浮上するも、マヤノトップガンはまだインで我慢。
サクラローレルは二番手、先頭の逃げ馬に並び掛けると、その直後にはマーベラスサンデーもサクラローレルをきっちりマーク。
四コーナーで先頭を奪ったサクラローレルを外からきっちり仕掛けたマーベラスサンデーが競り掛けます。
マヤノトップガンはまだ中団、四コーナーで遠心力を利用してか、大外にパッと持ち出して末脚に掛けます。
このとき、既にサクラローレルは先頭、みんな先頭のサクラローレルを見ていたのですが、一人大外に持ち出したマヤノトップガンを注視していた自分は、
「阪神大賞典のときと同じ乗り方、これなら勝てる。」
祈るような気持ちで「きっと勝てる。」を心の中で唱えていました。

レースは最後の直線へ向かってサクラローレルが先頭に立ちます。

直線でサクラローレルが先頭、マーベラスサンデーが並び掛けるが簡単には抜かせないサクラローレル、二頭がゴールに向かって抜け出したそのとき、
一頭が大外から飛んできました。
「マヤノトップガンが飛んで来た」
そんな実況を聞き、盛り上がったゴール前、マヤノトップガンは脚を溜めた分だけ前の二頭より鋭い末脚で、一気に差を詰めると、マーベラスサンデーを競り落として抜け出していたサクラローレルを並ぶ間もなく競り落とし、マヤノトップガンが世界レコード(当時)3:14.4秒のおまけ付きでゴールイン。

マヤノトップガンが快勝しました。
サクラローレルにリベンジを果たしてくれました。

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その時は、天皇賞(春)で初めてガッツポーズをできた瞬間でした。

しかし…

こんなアツいレースを見せてくれた二頭でしたが、マヤノトップガンは秋の京都大賞典復帰の調教中に屈腱炎を発症し、9月に引退し種牡馬入りが発表されました。
時を同じくして、サクラローレルも凱旋門賞を目指して出走した9月の前哨戦フォア賞でレース中に負傷、そのまま引退してしまいます。

まるで示し合わせたかのように、9月に引退が決定したマヤノトップガンとサクラローレル。

天寿を全うしたかのように、天に召された時期も、2019年の11月のマヤノトップガンに続いて、2020年1月にサクラローレルが旅立ったという似通った二頭でした。

90年代後半の日本競馬を沸かせてくれた二頭、改めて、アツいレースをありがとうと思いながら、ご冥福をお祈りいたします。