SpecialなWeekを目指す競馬日記

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競馬雑学:ダイワテキサスが旅立つ

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ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

今日はダイワテキサスの訃報に触れて思い出を振り返って見ようと思います。

ダイワテキサスが旅立つ

今年28歳を迎えたダイワテキサスが2021年11月28日高齢による心不全で旅立ちました。
28歳は競走馬の世界では長生きしたといえる年齢、前日には異変はなかったものの…とのこと。

なんだかまた90年代の思い出が世を去って行く寂しさを感じています。

ダイワといえば…

ダイワの冠名でどんな馬を思い浮かべるでしょうか。
概ね世の競馬ファンは、種牡馬としても成功しているダイワメジャーや、牝馬時代の扉をウオッカとともに開いた女傑ダイワスカーレットを思い浮かべるのではないかと思います。成績も派手で有名ですし。

ちょっとひねったところではオークス馬ダイワエルシエーロとか、マイルCS二着のほか短距離重賞二勝と活躍したダイワマッジョーレとか、2021年現在では現役で存在感のあるダイワキャグニーも有名です。

しかし、個人的にダイワと言えばダイワテキサス、そんな時期が個人的にはありました。

ダイワテキサスという馬

ダイワテキサスは父トロメオ、母ローブデコルテという血統で1993年に誕生しました。
ちなみに2007年にオークスを制したローブデコルテとは別馬です。外国産馬ですし。

母は未勝利馬でしたが、母の母がニッポーテイオーやタレンティドガールと言ったGI馬の半妹という良血で、未勝利馬ながら良血振りを評価されて繁殖入りしたんだろうなぁと思われます。
ただ、初仔ダイワテキサスの下は全て未勝利のままで引退となってしまいました。一時期言われていた、一繁殖牝馬からは一頭の代表産駒の法則を地でいっていたような血統だったように思えます。

加えて、サンデーサイレンス全盛期という時代のど真ん中でした。その時代に父トロメオという渋さ。マイナー種牡馬ゆえかダイワテキサス以外にはこれと言って浮かばない産駒。
そういう意味では父トロメオにとってもダイワテキサスは代表産駒だったといえそうです。

二戦目の新馬戦でエアグルーヴの二着に入るもこの後なかなか勝ちに恵まれず、初勝利は翌年五月未勝利戦、デビューから二戦手綱を取った的場JKに手が戻ってからの勝利でした。
そこからしばらくトンネルにはいります。

1998年オールカマー

しばらくは逃げの大塚栄三郎JKが主戦となり、好走はあれど一勝にとどまります。そんなダイワテキサスの変化はテン乗り蛯名JKに手が変わってから。
ここから怒濤の四連勝を挙げ、関屋記念で重賞初制覇、いよいよ本格化の兆しをみせていました。

そんなダイワテキサスが一番強烈に印象を残してくれたレースは、1998年重賞初勝利の関屋記念の次走一番人気で迎えた産経賞オールカマーでした。
主戦の蛯名JKは重賞二連勝を含む四連勝中の上がり馬ミラクルタイムに騎乗、このためダイワテキサスは代打で同期の武豊JKがテン乗り、重賞連勝に挑みます。

レースはサイレントハンターの大逃げでツインターボの伝説の大逃げを彷彿とさせる走りをみせ盛り上がりを見せる道中、完全に二番手以下を突き放して十馬身を超えるリードで三コーナーに入っていく先頭のサイレントハンター。

四コーナーをカーブしてもまだ七馬身のリード、この時点で四コーナーをカーブする二番手以下の各馬を尻目に既に直線を行くサイレントハンターに、観戦していた競馬ファンはツインターボのような逃げ切りが再現されることと思っていたと思います。少なくとも自分はそう思っていました。

しかし、四コーナーで四番手くらいで回ってきたダイワテキサスが、完全に逃げ切り勝ちに持ち込んだサイレントハンターを猛追、ダイワオーシュウを引き連れて直線だけで一気に先頭を行くサイレントハンターを差し切って勝利、上がり三ハロンメンバー中最速の35.7秒と鬼脚を繰り出して勝利しました。

この鬼脚は痺れました。サイレントハンターの大逃げというレース展開も手伝ってダイワテキサスの終いの脚が数字以上に切れた印象を与えてくれました。

そして本番…、その前に

このレース後にサイレンススズカの伝説となった毎日王冠を目の当たりにすることになります。
あのサイレンススズカの逃げか、オールカマーの鬼脚を本番もダイワテキサスが再現できるのか、これは本番天皇賞(秋)が楽しみになってきた、と思ったものです。あと、サンデーサイレンス全盛期にマイナー血統であるダイワテキサスがサンデーサイレンス産駒を撃破するという。

サイレントハンターはサイレンススズカほどではありませんでしたが力のある逃げ馬であり、完全に勝ちレースだったなかを鬼脚で差し切ったダイワテキサスはこの頃から非常に気になる一頭となっていました。

しかし本番前にして脚部不安を発症したダイワテキサスは、残念ながらこの年はGIのスタートラインに辿り着くことはできず、全休となってしまいます。

翌年も脚部不安やレースでのアクシデントが重なって怒濤の五連勝後には勝てない時期が続きました。

2000年再び輝く新潟記念(中山開催の)

そんなダイワテキサスが低迷期を脱したのは2000年の関屋記念。重賞初勝利を挙げた関屋記念で隔年の勝利を挙げて重賞四勝目。その次走は中山で開催された新潟記念でした。

このときも二年前のオールカマーのような絶対的な逃げ馬アンブラスモアが最内枠の1枠1番という絶好枠を引いて逃げを打ちそうな感じがあったのですが、三連勝中の夏の上がり馬ゲイリートマホークもその三連勝全て逃げ切りの勝利でハイペース必至となったレース。

ただ、ハンデ戦の新潟記念だったここは八歳馬で斤量59キロのダイワテキサスには(個人的には)分が悪そうに見えました。世間はそう見ていなかったようで最終的に一番人気に推されていましたけど。

レースは好スタートからアンブラスモアがハナを切ってレースを引っ張ります。二番手に逃げ馬ゲイリートマホーク、二頭が三番手以下を突き放して大逃げを打ちます。ダイワテキサスは前から八番手くらい。
ただ三コーナー付近で徐々に三番手以下が差を詰めてきます。先頭は二頭が並んで四コーナーをカーブしていきます。

アンブラスモアが大逃げと見せて三コーナー付近から一息を入れて(たぶんですけど)二番手以下を引きつけたうえで、最後の直線でもう一伸びを見せるというレース展開。
直線に入って二番手ゲイリートマホークを置き去りにしたアンブラスモアはまだ先頭で二馬身くらいリードを保っていました。
しかし、ここから。
ダイワテキサスが二番手集団の横一線の一角に並び掛けると、大外一気で追い込んで来た斤量49キロと最軽量の牝馬が飛んでくるより早くダイワテキサスがもう一伸び。
一気に逃げ切りを図るアンブラスモアを差し切ると先頭でゴールを駆け抜けていました。

オールカマーで見せたダイワテキサスが戻ってきたような錯覚がこの新潟記念にありました。

2000年有馬記念

その後、天皇賞(秋)を大敗し、ジャパンカップではブービー15番人気ながら掲示板確保の五着が精一杯の走り。そして13番人気で迎えた有馬記念。ここでは天皇賞(秋)とジャパンカップだけでなく2000年出るレース全てで勝ちまくったテイエムオペラオーが断然の一番人気でした。

しかしナリタトップロードの熱狂的なファンだった自分は本命ナリタトップロード。相手にはユーセイトップランで勝負していたと思います。
しかし心のどこかでは「またオペラオーとドトウのワンツーフィニッシュなんでしょ?」と思っていました。

ダイワテキサスの道中は中団待機、馬群のなかで折り合って脚を溜めたダイワテキサスでしたが、三コーナー付近で有力馬が動き出すより早く前に取り付いて行きます。ナリタトップロードと同じように外目回して早目に動いて行きました。四コーナーでは既に押し上げて先頭に取り付いています。
外を回したナリタトップロードが四コーナーで早くも先頭に立つような勢いで押し上げて行きます。

そこから直線に向いて先頭に立ったのはナリタトップロードではなく、その直後からさらに外を回して直線に入ってきたダイワテキサス。
ダイワテキサスが直線で先頭にたちゴールに向かって駆け抜けてきます。
間違いなく、直線の攻防、一瞬だけダイワテキサスは先頭に立っていました。
しかし、ここから2000年のGIを全てかっさらってきた二頭テイエムオペラオーとメイショウドトウがダイワテキサスの外から一気に飛んで来てダイワテキサスを差し切って二頭でハナ差の接戦でゴール。結局ダイワテキサスは13番人気に低評価を覆す三着で入線。有馬記念でもあの二頭相手に力のあるところを見せました。

既に八歳と全盛期を過ぎている馬齢だったダイワテキサス。翌年は重賞で二着や三着はあったものの、勝利には手が届かず。
ただ、あれだけ悩まされた脚部不安もなく、夏場も休みなく有馬記念まで走り切ったダイワテキサスはこの年に引退、無事種牡馬として次なるステージへ旅立っていきました。

90年代を彩った一頭

結果的に見れば、中山巧者という点が武器になった重賞五勝だったようなダイワテキサスの生涯成績でしたが、新潟1600m(二勝目は福島1600mだったけど)の関屋記念の勝利があったことからダービー卿チャレンジTをステップに安田記念でも見てみたかったと思わせる一頭でした。(マイルCSは一回出走して10着、残念)

98年オールカマーで見せた鬼脚、あの脚が発揮できればGI勝利もあったかもしれませんが、全盛期は脚部不安に悩まされてGIを逃したような格好になったのは残念です。

秘めたポテンシャルはかなりのものだったと思っている思い出の一頭、ダイワテキサス。誰もが知っているという超有名馬ではありませんが、一ファンとしてその思い出をここに記しておこうとおもいます。