ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。
少し前の話ではありますがテレグノシスの訃報に触れて、思い出を振り返ってみようとおもいます。
今週末はNHKマイルC週だし、NHKマイルCの勝ち馬テレグノシスを振り返ってみるというのも。
ローエングリンと一緒に出走
テレグノシスの印象は「ローエングリンと一緒によくレースに出走している馬」という印象。自身がローエングリンのファンということもあるのですが、2003年のジャック・ル・マロワ賞やムーラン・ド・ロンシャン賞の海外遠征を一緒に挑戦しただけでなく、国内のレースでもちょくちょく顔を合わせています。
現役生活はローエングリンのほうが一年長かったけど、ローエングリンが勝てなかったGIを勝ったのはテレグノシスのほうでした。
テレグノシスのGI制覇
スプリングS出走時にはテレグノシスは一介の穴馬でした。ローエングリンは前走の1勝クラスを大勝したこともあって二番人気に推されていました。しかしこのレース単勝1倍台に推されていたのは後のダービー馬タニノギムレット、さすがに相手が悪かったのもあって、タニノギムレットと同じ上がり三ハロンメンバー中最速の脚を繰り出したテレグノシスでしたが、クビ差及ばず二着に終わりました。
タニノギムレットはその後皐月賞に出走(三着)後にNHKマイルCでテレグノシスと再戦、ここでも三着に終わります。このNHKマイルCを勝利したのが、スプリングSから直行したテレグノシスでした。位置取りは似たような感じでしたが上がりの脚で上回ったテレグノシスがこの後ダービーを制する単勝1倍台の一番人気馬を三着に負かしての勝利でした。
しかし、この後ダービーを制したタニノギムレットに対して、同じくダービーに出走したテレグノシスは四番人気に推されるも11着に大敗してしまいます。これでマイラーと決定づけられたテレグノシスのマイル路線の生活が始まります。
相手なりには走るものの…
秋になって古馬との初対戦富士Sを四着、続く本番マイルCSでは人気を落として9番人気も再び後方待機策から上がり三ハロンメンバー中最速の脚を繰り出して、五頭が接戦でゴールに駆け込む中でその中の一角に食い込んで四着、勝った東海ポイントからクビ差⇒ハナ差⇒クビ差という四着でした。
翌年の中山記念はローエングリンが勝利、テレグノシスは八着、その後京王杯SCを勝利して本番安田記念には二番人気で挑むも着外に敗れています。この安田記念の一番人気三着がローエングリン、勝ったのはダートと芝の両刀使いで有名なアグネスデジタルでした。
この二頭がフランス遠征したのもこの安田記念の後の2003年、ジャック・ル・マロワ賞はテレグノシスが三着好走、ムーラン・ド・ロンシャン賞はローエングリンが二着好走と二頭は両方のレースに出走してそれぞれを分け合うように好走を果たしました。
香港マイルも再びローエングリンと共に出走、ローエングリンが三着好走に対してテレグノシスは七着と奮いませんでした。
安田記念狙いのローテ?
テレグノシスの翌年は京王杯SCから始動、ここを昨年勝利した時のような上がりの脚で後方から一気に差し切っての快勝…とは行かずクビ差勝ち馬ウインラディウスを捕らえきれず二着に終わりました。
しかし叩き二走目で安田記念を狙うテレグノシス、なんだか本気度を感じるローテでした。たた本番安田記念はやはりローエングリンを本命にし、ウインラディウスとかメイショウボーラーあたりを狙っていたような記憶があります。しかし、ここでテレグノシスは再び前走のような末脚を見せ、勝ったツルマルボーイにクビ差及ばなかったものの、二着でゴールしていました。
東京コースのトニービン産駒を地で行く活躍だったとこのとき思ったような感じがします。
そして秋には毎日王冠、再びローエングリンとテレグノシスが人気サイドで二頭の争い。
逃げるローエングリンを後方から上がり三ハロンメンバー中最速の脚で一気に差し切ったテレグノシス、二頭は三着以下を一馬身離してゴールしましたが、ゴールインのときに半馬身テレグノシスが逃げるローエングリンを差し切ってのゴールでした。
テレグノシス現役最後の勝利がこの2004年毎日王冠でした。
その後もテレグノシスは持ち前の末脚を武器に東京コースを中心に複勝圏内の好走を続けますが勝ち切れず2006年マイルCS11着を持って引退となりました。
1800mベストだった?
意外と芝1800mの重賞で好走を重ねているテレグノシス、スプリングSでタニノギムレットとクビ差接戦した中山1800mや、東京1800mの毎日王冠では二年連続で勝ち負けしていることでコースが違う両方の1800mで結果を出している点で、テレグノシスは実は1800m戦がベストなのだと思っていました。(これでちょっとテレグノシスの現役時の取捨を誤っていたような感じもします。)
本質的には1800mもこなす距離持つマイラーで東京コースがベストというお手本のようなトニービン産駒だったといえそうです。
四年連続京王杯SCで勝ち負け(二走は三着で複勝圏内が精一杯ですが)していることからも、東京コースへの高い適性が窺えます。続く安田記念は結果が出ない年もあるけどハマれば二着とあと一歩のところまで来ていました。
一方で二回挑戦した天皇賞(秋)ではいずれも二桁着順に敗退しており、2000mという距離は合わなかったことが見て取れます。90年代は毎日王冠=天皇賞(秋)という雰囲気もあり、毎日王冠で二年連続好走するテレグノシスに夢を託したこともありました。
2012年種牡馬を引退したテレグノシスは、2022年1月30日、23歳で旅立ちました。