SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:フラワーパークが旅立つ

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ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

今日はフラワーパークの訃報を耳にしたので思い出話。

フラワーパークとは

父ニホンピロウイナーという90年代を代表するスプリント種牡馬の産駒で有名種牡馬ですし、母父ノーザンテーストといまから考えると良血なのですが、当時はトニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスと毎年輸入種牡馬が初年度産駒でクラシックを沸かせている時代で、短距離戦線はスピードに富んだ外国産馬の独壇場のような感じでした。
そのためフラワーパークも当時はあまり目立たない一頭だったような記憶があります。

そんなフラワーパークは着実に条件線の勝利を収め、五歳でオープンクラスに昇格すると、昇級初戦では既に実績が多数ある外国産馬のエイシンワシントン相手に陽春Sで健闘し二着に入る好走を見せました。

フラワーパークの快進撃

陽春Sで力を見せたフラワーパークは、その次走をGI前哨戦シルクロードSに標的を定めます。
陽春Sで負けたエイシンワシントンの他にも、前年のスプリンターズS覇者ヒシアケボノを始めとしてGI馬ヤマニンパラダイスや桜花賞トライアルで伝説の追込みを見せたライデンリーダーなどメンバーが揃った前哨戦となりましたが、二番手追走から早目にヒシアケボノをかわすと、ドージマムテキの追撃を振り切って快勝、一躍本番のGI高松宮杯(現在の高松宮記念、以下は高松宮杯と記述)の有力馬の一頭として目されることになりました。

この1997年の高松宮杯はまず前年まで夏の中京2000mで開催だったGⅡ戦から、1200mのGIに昇格した初年度だったことに加えて、ナリタブライアンが前走天皇賞(春)の3200m戦から一気に距離を短縮した1200m戦への出走を表明したことで物議を醸していて、通常のスプリントGI以上に盛り上がりを見せていました。しかもスプリンターズSでサクラバクシンオーと死闘を繰り広げていたビコーペガサスのようなGIに最も近い実力馬なんかも出走していてかなり話題に事欠かない状況でした。どの馬が勝ってGIを戴冠してもおかしくないような混戦ムードだったと記憶してます。

その中で強敵を封じて第一回の電撃スプリント戦を制したのがフラワーパークでした。

その後安田記念にも出走して新たに強豪マイラーを相手にしたフラワーパークは、ここまでで破ったヒシアケボノやビコーペガサスだけでなくヤマニンパラダイスにも先着されてしまう九着に終わりますが、これは生粋のスプリンターだったからなのかなという結論でした。

スプリンターズSの名勝負

フラワーパークを語る上で欠かせないのが1996年スプリンターズSです。
高松宮杯でGI初制覇となったフラワーパークの秋の大目標はスプリンターズS、前哨戦として選んだのはCBC賞でした。

ここに再びエイシンワシントンが立ちはだかります。

前走マイルCSで15番人気という低評価を覆して三着に逃げ粘ったことで再び人気の一角となったエイシンワシントンは17日の日曜日のマイルCSから連闘というか中5日の強行軍で23日土曜日のCBC賞に出走すると力強い逃げを見せ快勝、フラワーパークは二着に敗れてしまいました。ただフラワーパークは本番前の一叩き、次走のスプリンターズSは当然のように一番人気で迎えました。

このスプリンターズSで前走同様力強く逃げを打つエイシンワシントン、早目にこれを捕まえに行くフラワーパーク、直線では二頭が抜け出して叩き合いとなります。後続は引き離されて二頭のマッチレースのようになっていました。

差されたと思ったエイシンワシントンが再び差し返す、最後はクビの上げ下げ、二頭が同時に入線したように誰もが見えましたが、長い長い写真判定の末、わずか1センチというハナ差でGI馬フラワーパークの意地が勝った勝利だったように思えました。

この二頭はスプリント戦ではあまり見ない五馬身差という着差を三着以下に付けて、この年の短距離を代表する走りを見せてくれました。
このレース以降に何頭ものスプリンターズS勝ち馬が輩出されましたが、未だにこの二頭の死闘は名勝負に数えられています。

スプリント戦線を彩った名牝

死闘となったスプリンターズS、その後ライバルであるエイシンワシントンが翌年骨折で引退すると、フラワーパークも掲示板止まりの競馬を繰り返してすっかり勝てなくなってしまいます。1997年のスプリンターズS四着を最後に引退し、繁殖の道へと進んでいきました。

フラワーパークはGI二勝と大成したのですが、割とレアケースだった記憶があります。
当時は父内国産馬には不遇な時代だったこともあり、外国産馬を蹴散らす強い父内国産馬のフラワーパークは希有な存在として90年代を彩った名馬の一頭でした。