SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:シンボリクリスエスが世を去る

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ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

今日はシンボリクリスエスの訃報に触れて思い出の記録。実は古馬になるまでなじみはなかったのですが、強烈な印象を残した古馬での活躍。

シンボリクリスエス=父クリスエス

シンボリクリスエスの父はクリスエス、アメリカの有名種牡馬です。当時はクリスエス産駒というとアルゼンチン共和国杯を勝利したマチカネアレグロぐらいが有名であとは重賞戦線を息長く走り続けたショウナンハピネスくらいのものでした。

ただ、その直仔となる二頭にはそれほどなじみはなく、個人的には母の父としてクリスザブレイヴ(ノーザンテースト最後の大物と言われていた朝日杯一番人気馬)を輩出していたのが記憶に残っています。クリスエス自体はそれほど競馬ファンには有名な種牡馬ではなかったと思います。当時はサンデーサイレンス時代でしたし。

そんななか、競馬雑誌ではサンデーサイレンス時代に新たな新星としてデビュー前から取り上げられていた若駒の一頭でした。90年代当時は外国産馬は仕上がりが早くスピードに溢れる有力馬が多かったこともあって注目されていたんだと思っていました。

デビュー快勝もしばらく苦戦

デビュー東京芝のマイル戦はスピードのありそうな外国産馬が上位人気を独占し、四番人気のシンボリクリスエスより上位三頭すべてが外国産馬という新馬戦でした。
その新馬戦をクビ差の接戦だったものの、三着以下は二馬身突き放しての快勝といっていい内容だったと思います。シンボリクリスエスはデビュー戦を勝利しました。

ちょっとしたムダ知識ですが、シンボリクリスエスがクビ差退けて勝利した新馬戦の二着馬はアサクサキニナルという馬、ワシントンカラーの弟という良血の外国産馬で、実はシンボリクリスエスの新馬戦の次走はローエングリンの新馬戦(共に二頭は二戦目の新馬戦)で対決し三着に終わっています。
さらに勝ち上がって昇級初戦ではテレグノシスとの接戦で二着敗退となるなど、対戦相手に恵まれない馬でした。

その後のシンボリクリスエスは500万下(現在の1勝クラス)もすんなり勝ち上がるかと思いきや二着や三着など惜敗を繰り返します。上がり三ハロンメンバー中最速の脚を常に使っているのですが、勝ち切れない日々が続き、ようやく勝ち上がったのは4月の山吹賞でした。ただ、外国産馬のシンボリクリスエスにとっては去年からダービーに門戸が開かれており、藤沢(和)厩舎悲願のダービー制覇に向けてダービートライアル青葉賞への挑戦が決定していました。

(個人的な)定石を破ったダービー二着

青葉賞は多少メンバーに恵まれた感もあって二馬身半差快勝、一躍ダービーへ向けて期待が高まったシンボリクリスエス。しかし、個人的には青葉賞の勝ち馬はダービーは勝てないどこか二着も厳しいと思っていました。
それまでも、トウカイテイオー世代の青葉賞勝ち馬レオダーバン二着(ただしこの時代はオープン特別のトライアルレースで重賞ではない)や、ナリタブライアン世代の青葉賞勝ち馬エアダブリンなどのダービー二着好走はあったものの、それ以外は着外に沈むことが多く、やはり府中の2400mをこの時期に二回走り切って二度結果を出し切るのは難しいんだろうという結論に達していました。しかも二着の実績もかなり昔の話で、八年連続青葉賞の勝ち馬はダービーで着外に沈むという状況でした。

「青葉賞を勝利してダービー出走する馬は正直あまりアテにならないでしょ。あと外国馬も去年クラシック開放元年でクロフネなんてネーミングぴったりな馬が人気したが結局勝ったのは府中大好きトニービン産駒のジャングルポケットじゃない。アメリカ血統は基本スピード馬ってことなんじゃない?シンボリクリスエスも掲示板くらいじゃないかね。」

なんて分ったようなことを言っていました。
しかし結果はというと、好位からいち早く抜けてラチ沿いを行くマチカネアカツキ(このときの鞍上K.デザーモJKの騎乗はお見事でした。一番上手かったと思う。)を直線に入ってから外から力強くとらえに行ったシンボリクリスエスがメガスターダムとマチカネアカツキの叩き合いを差し切るか、と思ったところで大外から一気にタニノギムレットが差し切って先頭でゴールイン、ダービーの栄冠はタニノギムレットに。

確かこのときはアドマイヤドンを本命に狙っていたような記憶がうっすらあります。勝ったのはタニノギムレットでしたが、青葉賞の勝ち馬はダービーで消しとなっていた傾向がシンボリクリスエスによって再び「二着ならある」という定石を復活させてくれました。

秋は果敢に古馬中距離路線に

当時では珍しかった秋の古馬中距離路線に殴り込みをする三歳馬という構図。神戸新聞杯で皐月賞馬ノーリーズンをアッサリ下して勝利したシンボリクリスエスは古馬との初対戦となる秋の天皇賞に挑みます。
このときは何を置いてもナリタトップロードでした。大好きでしたので、もう本命以外考えられない状況で勝利を信じて疑いませんでした。
しかし、ナリタトップロードは上がり三ハロンメンバー中最速の脚を使いながら好位で上手く流れに乗ったシンボリクリスエスを捕らえ切れず二着に終わってしまいます。
シンボリクリスエスはダービー二着の実績馬から一気に「三歳天皇賞(秋)制覇」の実績馬に駆け上っていました。

有馬記念でまた(個人的な)定石が破られる

その後外国馬の後塵を拝してジャパンカップ三着から有馬記念に出走したシンボリクリスエス。しかしこのときはまた

「シンボリクリスエスはジャパンカップで日本馬最先着だった。天皇賞(秋)からジャパンカップ日本馬最先着で有馬記念で三戦目となった馬は消耗が激しく有馬記念では勝負にならない。」

って周囲には吹聴していました。実際この考え方で有馬記念で人気馬を消して上手くいったこともあるのでこれは結構自信持っていました。

しかし結果はシンボリクリスエスが前目で押しきったかにみえたタップダンスシチーを最後半馬身差とらえての勝利、アッサリと勝利してしまいました。
正直、この天皇賞(秋)勝利からジャパンカップを勝利(ないし日本馬最先着)で有馬記念に挑んだ馬でこれを勝ち切ったのは当時ではシンボリクリスエスだけだったと思います。(今なら居るかも)

このときも結局はナリタトップロードの引退レースだったため、ナリタトップロードで勝負の有馬記念は四着でハズレに終わっていました。

翌年も?

宝塚記念から始動となった翌年、五着敗退の宝塚記念から連覇を目指した天皇賞(秋)に出走、不利な大外枠を克服して史上初の天皇賞(秋)連覇を達成します。

その次走は去年のリベンジとなるジャパンカップに出走、しかし去年と同じ三着に終わってしまいます。

引退レースの有馬記念では「さすがに引退レースを有終の美で飾るか?」と言う点に予想のポイントを絞っていました。
「今年大挙して出走している三歳馬とダービーレグノが波乱を起こすんじゃないか?」
なんて夢のような予想を元に、穴狙いをしていたような記憶があります。本命は12番人気のダービーレグノ。ジャパンカップ勝利のタップダンスシチーは切っていましたが、一番人気に推されたシンボリクリスエスも切って予想をしていました。

結果は二着は三歳馬のリンカーンに九馬身差という有馬記念史上最大の着差を付けてシンボリクリスエスの圧勝に終わりました。やっぱ強かった…、と思い知ることになります。

こうして、昨年の天皇賞(秋)⇒ジャパンカップ⇒有馬記念と奇しくも同じ着順で引退レースとなった秋の古馬GI三戦を終えたシンボリクリスエスは種牡馬として北の大地に旅立っていきました。

種牡馬として

引退後にはサクセスブロッケンを送り出しジャパンダートダービーやフェブラリーSなどのGI(JpnI)を勝利する活躍を見せます。その他もダートに強い馬を送り出すのですが、芝ではなかなか。サンデーサイレンス産駒が種牡馬として多く供用されており、非サンデーサイレンス計の種牡馬として期待もされましたが芝のGI馬は送り出せていませんでした。

それが、シーザリオと交配したエピファネイアを送り出し、皐月賞とダービーは二着でしたが見事に最後の一冠である菊花賞を制覇、翌年には父シンボリクリスエスが勝てなかったジャパンカップを制覇し翌年引退、後継種牡馬として産駒が2019年からデビュー、2020年にはデアリングタクトという無敗の三冠牝馬を輩出しています。

さらにエピファネイアから遅れること5年、ダートの大物ルヴァンスレーヴを輩出し、その血統は受継がれています。

こうやって見返してみると、シンボリクリスエス偉大な一頭でした。