SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:ネオユニヴァースが旅立ち

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ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

今日はネオユニヴァースの思い出話なんかを。訃報が続いてなんだか悲しい。

L'Arc~en~Cielの曲と同じ馬

テーマソングも(引退式だったような記憶があります)馬名と同じ曲である「NEO UNIVERSE」が競馬場で流れていました。

やはり仲間内でも曲とリンクさせたネタを会話に入れ込んでくるような思い出があります。

全兄がナリタトップロードと同期

全兄にチョウカイリョウガという馬がいたネオユニヴァース。チョウカイリョウガはナリタトップロードと同期の世代なので、なんとなく記憶に残っています。
つまり、テイエムオペラオーやアドマイヤベガと同世代ということになります。
チョウカイリョウガは重賞で善戦はしたものの、オープンクラスでは勝ち切れず引退していました。ネオユニヴァースがデビュー前に話題になっていたときには、チョウカイリョウガくらいの活躍のイメージしかなかったような印象を持っていました。

そんなチョウカイリョウガの全弟となるネオユニヴァースは兄とは異なりデビュー戦を勝利します。

二戦目敗退も快進撃

二戦目にはいきなりオープンクラスの中京2歳Sに出走し勝ち馬と同タイムの僅差で三着となります。その後自己条件の1勝クラスを勝利したネオユニヴァースはそのあときさらぎ賞に駒を進めます。
きさらぎ賞では前月のシンザン記念で勝ったサイレントディールに二着馬マッキーマックスが出走し上位人気を形成していました。重賞で勝ち負けした二頭に次いでネオユニヴァースは三番人気、中京2歳Sを僅差とはいえ敗退していることもあって、半信半疑なところがありました。
しかし、予想に反してきさらぎ賞は快勝、続く皐月賞トライアルとなるスプリングSでも朝日杯二着のサクラプレジデントを一馬身以上の差を付けて快勝、気がつけば皐月賞では一番人気に推されるほどになっていました。

今年はネオユニヴァースで決まりなんじゃないか?

なんて話をしていたものです。

そして皐月賞

周囲ではネオユニヴァースで決まり、となっていた2003年皐月賞ですが、当時一番人気を切る天邪鬼な予想をしていたものですから、

「いやいや、弥生賞勝利で王道ローテを選択した朝日杯の勝ち馬エイシンチャンプが皐月賞も勝利する。」

と、強がって一番人気のネオユニヴァースを切って勝負していました。
当時ラジオたんぱ杯2歳Sの勝ち馬もかなり評価していたこともあって、ザッツザプレンティとエイシンチャンプの二頭で勝負した記憶があります。
しかし結果はネオユニヴァースがサクラプレジデントと最後に追い比べをして三着エイシンチャンプを三馬身半突き放しての快勝でした。

スプリングSの上位二頭がそのまま皐月賞をワンツーフィニッシュ。

ダービーで二冠

ダービーもデムーロJKを背に堂々一番人気、やっぱり一番人気を切る予想をしていたために、「皐月賞三着のエイシンチャンプが巻き返す」などと的外れな予想で鼻息を荒くしていました。ザッツザプレンティも勝負に入れていました。

ただ結果は、ネオユニヴァースの快勝、前哨戦青葉賞を制してダービーに挑んだゼンノロブロイが前目で押し切るところを一気に上がり三ハロン最速の脚を繰り出してネオユニヴァースが差し切って勝利。二冠馬が誕生しました。

ダービー直後には、「これは三冠馬誕生もありそうだね。」と話していたものですが、予定外のローテが発表されます。

宝塚記念挑戦

ダービー馬がダービー勝利後に宝塚記念に挑戦するという異例のローテが発表され人気を集めることになります。
三歳でダービー後に宝塚記念出走はかなり異例。
しかし結果は明け四歳の菊花賞馬ヒシミラクルが前走天皇賞(春)勝利に引き続きGI連勝、ネオユニヴァースは四着に終わりました。

今思えば、この宝塚記念に勝利していたら、もしかして秋には凱旋門賞へ挑戦というプランもあったのかなぁ、なんてタラレバの話を仲間内でしていた記憶が思い起こされてきます。

勝てない秋

宝塚記念後、秋初戦を神戸新聞杯に出走したネオユニヴァースは、短期免許の期間が終了したデムーロJKから以前の主戦だった福永JKに乗り替わり三着に終わります。春には負けなかったサクラプレジデントにも半馬身差先着を許してしまう二冠馬。
三冠に向けて暗雲が立ちこめてきたような感じでした。

思えばこの年も牡馬ネオユニヴァースと牝馬スティルインラブは春クラシック二冠を達成しており、秋には牡馬と牝馬で同時クラシック三冠馬誕生が掛かっていた年でした。
三冠が掛かった菊花賞でデムーロJKの騎乗が特例的に認められ、菊花賞では再びデムーロJKとのコンビが復活、ファンは胸を熱くしたことと思います。

しかし牝馬クラシック三冠を達成したスティルインラブとは対照的に、菊花賞一番人気に推されながら勝ったザッツザプレンティと二着馬リンカーンの後塵を拝してしまい、三着に敗れてしまいました。

その後、ジャパンカップにも挑戦しますが、上がり三ハロン最速の脚を繰り出すもタップダンスシチーの逃げの前に四着、同期の菊花賞馬ザッツザプレンティは二着(しかしタップダンスシチーから九馬身差の二着)に終わり、ネオユニヴァースは燃え尽きたのかな、と思っていました。

大阪杯勝利、そして引退

翌年、明け四歳の初戦に挑んだのはGⅡ産経大阪杯、ここで逃げ切り体勢になっていたマグナーテンを最後アタマ差退けて勝利、久々の勝利を収めました。
これで復活か、と思われたネオユニヴァース、次走天皇賞(春)では二番人気に推されましたがイングランディーレの逃げ切りとなったこの年の天皇賞(春)は展開が向かなかったこともあり10着大敗。

次走、宝塚記念に向け調整を続けていたところで屈腱炎を発症し、その年の秋に引退となりました。

種牡馬として

種牡馬としてもいきなりロジユニヴァースをターフに送り出してダービー親子制覇を達成、思えば同期にはアンライバルドもいました。ネオユニヴァース産駒で皐月賞とダービーを独占した年でした。アンライバルドの勝った新馬戦にはブエナビスタも出走していたんですよねぇ。

翌年の産駒ヴィクトワールピサは皐月賞を勝利し、その年の有馬記念もブエナビスタを破って勝利、翌年にはドバイワールドカップを制覇して海外GIを勝利します。
ヴィクトワールピサは同期のローズキングダム贔屓だったこともありなかなかに悔しいクラシックシーズンとなりました。同じ年の有馬記念では好きな馬ブエナビスタを二着に従えてのヴィクトワールピサの勝利。なかなか上手くいかないものだなとしみじみ思った年になりました。

他にも中長距離重賞で息の長い活躍を続けたサウンズオブアースや海外GI制覇もあるネオリアリズム、翌年にはダート界で今でも現役ウェスタールンドを送り出し、個性的な馬も種牡馬としてターフに送り出してくれました。

偉大な二冠馬、ネオユニヴァース。安らかに。