SpecialなWeekを目指す競馬日記

自分の買い目を考えて記録し後で検証するという目的のブログです。※馬券の購入は自己責任です。予想はそれほど悪くないが馬券に落とし込むところが課題です。

競馬雑学:熊沢JKが引退で思い出を振り返る。

広告

ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。

今日は2023年11月11日、熊沢重文騎手が現役引退を迎えることで、思い出を振り返ります。

ケガで引退

JRAから熊沢重文騎手の騎手免許取消の発表がされたのが11月始まってすぐのこと。
ケガで休養中だった熊沢JKの引退が決定した2023年、熊沢JKのファンとしては大きなニュースとなりました。

生涯現役を掲げ、同期の横山典弘騎手と同様に騎乗を続けたJRA競馬学校二期生、引退後はケガのせいもありトレセンに関わる仕事には就かないことが明言されています。

偉大な記録

熊沢JKの記録はデビュー後すぐに達成した最年少GI勝利記録から始まりました。
オークスを10番人気と低評価のコスモドリームで勝利、武豊JKがその記録を超えるまでの間(わずかな期間でしたが)最年少GI勝利記録を保持していました。

さらに時は進んでジャンプのレースでは257勝と歴代最多勝記録を保持することになります。
その過程では、平地とジャンプの両方で200勝、さらに平地とジャンプの両方でのGI制覇と、平地のトップジョッキーとしては珍しいジャンプに騎乗し続けた個性派ジョッキーとして輝きを放っていました。

熊沢JKの名馬を振り返る

ここから個人的な印象だけで選んだ熊沢JKの騎乗した名馬を振り返ってみようと思います。
勝手な一ファンの個人的な選出なのでご容赦を。

ダイユウサク

やはり熊沢JKを有名にしたのはダイユウサクじゃないかと思います。リアルタイムでみていた世代ではないのでどれだけすごかったかは映像でしかうかがうことは出来ないのですが、当時の現役最強馬メジロマックイーン相手に堂々立ち回り、メジロマックイーンに先んじて直線抜け出したのがダイユウサクでした。
有馬記念は荒れる、を体現した主役を食った穴馬をエスコートしたのが熊沢JK、初GI勝利に続く二勝目も二桁人気と言うことで穴の印象が定着しました。仲間内での呼び名は"穴熊"

ステイゴールド

産駒の活躍から大種牡馬として君臨するステイゴールドも、現役時代は希代の癖馬で通っていました。なにせあのサッカーボーイの全妹とサンデーサイレンスを交配した血統とくれば気性難が出ない方が不思議、というものです。
この時期くらいから"癖馬といえば熊沢JK"というイメージが付いてきました。熊沢JKを背に条件戦を三勝、勝ち切れないまでもオープン特別や重賞を二着して本賞金を満たしたステイゴールドはその年の天皇賞(春)をメジロブライトの二着入線でGI初連対、そのあとサイレンススズカの逃亡宝塚記念を二着すると、天皇賞(秋)も二着で春秋で二着となりました。

その後も活躍しましたがシルバーコレクター・ブロンズコレクターのイメージが定着し勝ち切れず、重賞初勝利は七歳の目黒記念と遅咲き、しかも武豊JKの三年ぶりの騎乗での勝利でした。その後初の海外重賞制覇も、引退レースでGI初制覇となった香港ヴァーズも鞍上武豊JKで達成と、熊沢JKのファンとしては嬉しいような残念なような複雑な印象。ただ引退してからあんな種牡馬としてブレイクするとは思っていませんでした。

熊沢JKのファンならではの気づきですが、ダイユウサクで下したメジロマックイーンがを母父として、熊沢JKが主戦を務めたステイゴールド産駒が超が付くニックスとして名馬を多く産みだした配合というのはなかなかの巡り合わせじゃないかと思っています。

エイシンワシントン

デビュー二戦目から手綱を取り引退まで騎乗し続けたナリタブライアン世代のスプリンターです。
やはり一番光ったのは引退レースとなったスプリンターズSじゃないでしょうか。終わったと思われていた15番人気で迎えたマイルCS三着から連闘で挑んだCBC賞でフラワーパークと好勝負、そこからスプリンターズSで再戦し1cmという同着と思われた長い長い写真判定の末のハナ差接戦で二着惜敗、このときのスプリンターズSは三着以下を五馬身差と二頭でレベルの違うレースを展開していたのですが、三着以下も翌年高松宮杯(現高松宮記念)でGI初制覇を果たすシンコウキングに前年の覇者ヒシアケボノ、翌年にタイキシャトルと競ってスプリンターズS二着となるスギノハヤカゼに二年連続スプリンターズS二着の実績を持つビコーペガサスとレースレベルもかなり高かったスプリンターズSでした。

その後に現役続行も調教中の故障が元で引退となってしまいましたが、熊沢JKのGI制覇をエイシンワシントンでもみたかったなというのはファンの一つの願いでした。

マーベラスカイザー

熊沢JKの大目標を達成してくれた思い出の一頭と言える名ジャンパーです。
熊沢JKの目標としてグランプリ有馬記念とジャンプのグランプリである暮れの中山大障害の両GIを制覇するという目標がありました。それを達成してくれたのがこのマーベラスカイザー、前年の中山大障害の勝利から春の中山グランドジャンプを制してチャンピオンとなっていたマジェスティバイオやその二着だったバアゼルリバーを押しのけて2012年中山大障害で勝利をおさめました。
成績をみると前述二頭よりは実績に薄く、中山大障害の勝利は人馬共に一体となっての勝利だったような印象があります。ジャンプのレースって平地よりも馬と騎手の関係性が深く一体感が要求されるレースの印象があり、マーベラスカイザーは熊沢JKの夢を実現するための一頭だったのかなぁという感じがします。

チャペルコンサート

コスモドリーム以来久々のオークス制覇に最も近づいた12番人気の穴馬、それがチャペルコンサートです。サンデーサイレンス産駒の牝馬で長距離に適性があったような印象があります。(実際に長距離は走らず古馬になってからはもっぱらマイル~2000mまでを主戦場としました。)
オークス前には後の桜花賞馬アローキャリーをエルフィンSでハナ差だけ差し切って勝利していたり、チューリップ賞では阪神JF好走のオースミコスモにクビ差肉薄しての三着だったりと実力の片鱗は見せていましたが桜花賞着外だったこともあってか本番オークスは12番人気の低評価でした。

大舞台で二桁人気の穴馬を持ってくるあたりがさすがの穴熊と実感した一頭でした。

テイエムプリキュア

癖馬こそ熊沢JKを地で行った牝馬。久々の平地GIを熊沢JKにもたらしてくれた一頭です。ただアサヒライジングと同期だったのでちょっと熱を入れるには至らなかったのですが。

古馬になってから引退までの大逃げのイメージがある馬ですが、二連勝で挑んだ阪神JFでは上がり三ハロンメンバー中最速の脚を繰り出して前をまとめて差し切った差し馬でした。メンバーも思い入れのあるアサヒライジングの他には後のGI馬であるフサイチパンドラやコイウタといった実力馬が集ったレースを差し切って勝利、気性難からその後はまったく勝てなかったものの、2008年日経新春杯(鞍上は熊沢JKじゃないけど)を三着、引退レースと公表されていた翌年の日経新春杯では荻野(琢)JKを背に大逃げを打ち、11番人気の低評価を覆す三年ぶりの逃げ切り勝ち、しかし個人的には鞍上が熊沢JKでないことが心のどこかでちょっと物足りなかったのもありました。
そして引退を撤回、その年のエリザベス女王杯、鞍上がかつての主戦となる熊沢JKに手が戻り、クィーンスプマンテの大逃げについて行く二番手を追走、二頭が三番手以下を大きく引き離したレースは行った行ったで圧倒的一番人気ブエナビスタの追撃を振り切って二桁人気の穴馬二頭のためのレースとなっていました。

勝手な自分の妄想ですが、引退の決まったテイエムプリキュアは自分の力で引退を撤回し、熊沢JKのための出番を残しておいてくれたのかな、なんて勝手に思い描いていました。

騎手の個性派

競馬において個性派は人気を博す存在です。一方で騎手の個性派はどちらかというと"知る人ぞ知る"という存在。癖馬ばっかり騎乗しているとか、騎乗に独特のポリシーがあるとか、そういいう話って割と裏話、探さないと出てこないエピソードであることが多いです。

王道を行くリーディング上位のジョッキーではないけども、知る人ぞ知る大ベテラン、熊沢重文騎手の37年の現役生活の幕が閉じます。