ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。
平成三強と呼ばれた93年クラシックホース最後の一頭、ウイニングチケットも旅立ちました。
平成三強最後の一頭
2020年4月にナリタタイシンが、その7月にはビワハヤヒデが老衰で旅立っていました。
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そして最後の一頭となったウイニングチケット、疝痛のため33歳でその生涯に幕を閉じました。
BNWとか平成三強と呼ばれた世代のダービー馬ウイニングチケットの訃報に触れて、なにかこう、一時代の終わりを実感しています。
名馬探しのベースとなった名馬
個人的にウイニングチケットと自分というテーマだと、ウイニングチケットはその後の名馬探しを教えてくれた存在として大きい一頭でした。
その頃はインターネットのような情報網はなく、競馬本や雑誌などから情報収集するしかない時代で、その少ない情報の中でもこれから活躍する馬を探し出す必要がありました。
そんな時代に、ウイニングチケットの成功例から「新種牡馬 × 母父マルゼンスキー = 活躍馬」という法則を自分ルールとして、スペシャルウィークと出会うことができました。この時期、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスと三年連続で輸入新種牡馬の産駒が活躍していた時期で、その中でもウイニングチケットのような母父マルゼンスキーはサンデーサイレンス産駒でも活躍馬を輩出した配合だったような記憶があります。
ダービーのウイニングロード
ウイニングチケットを語る上で外せないのが、鞍上の柴田政人JK(元騎手)に悲願のダービージョッキーの称号を贈った日本ダービー勝利が欠かせないエピソードです。
有力二頭が勝負所の四コーナーで外に持ち出すところを、ウイニングチケットと柴田(政)JKは内で我慢、包まれる心配もあったのですがちょうど前が開いた所を突いてライバルに先んじて抜け出したことで、最終的に二着ビワハヤヒデに半馬身差を付けて勝利を収めました。
このウイニングチケットが取った進路がウイニングロード、内を突いたものの前が空かなければ敗退もあったレース内容でしたが、人馬一体で掴んだ勝利への道だったように思えます。
トニービン初年度産駒のダービー馬
ウイニングチケットは凱旋門賞馬トニービンの初年度産駒、つまりトニービンはいきなり初年度産駒からダービー馬を送り出したことになります。やはり良血はすごい。
このウイニングチケットから、その次の世代ナリタブライアン、そしてその次のサンデーサイレンス産駒の席巻する世代まで、三年連続で新種牡馬の初年度産駒がダービー制覇という時期でした。その後は御三家の時代を経てサンデーサイレンス時代になりました。
しかし引退後種牡馬になってからは、このサンデーサイレンス時代がウイニングチケットを種牡馬の成功から遠ざける格好になってしまったような印象があります。
血統図に残るウイニングチケット
ウイニングチケットを血統図に持つ大レースの勝ち馬はオイスターチケットの孫世代となるレイパパレくらいじゃないでしょうか。(他を知らないだけ、かもしれませんが)
オイスターチケット自身も重賞は勝てずファンタジーS三着が最高成績、その産駒シェルズレイも重賞二着止まりでした。母シェルズレイのディープインパクト産駒レイパパレが大阪杯を制してGI馬となり、久々にウイニングチケットを意識することになりました。血統にウイニングチケットを持つ子孫ではレイパパレ以上の実績馬は個人的には知りません。
牝系にしか血統図に名が残っていない種牡馬はウイニングチケット以外にもいますが、レイパパレには母譲りのスピードに富んだ産駒をターフに送り出して欲しいものです。旅立ったウイニングチケットの名前を残すためにも期待しています。