ちょっと知ってるだけで玄人っぽい会話ができるようになる雑学。
今日は思い出のピンクのメンコ、山内研二調教師引退に思う思い出を書き綴ってみたいと思います。
ダンツシアトルで宝塚記念制覇
GIを何勝もしている名トレーナー。初めて山内調教師を知ったのは宝塚記念を勝利したダンツシアトルのとき。
このときは、サクラチトセオーが一番人気、距離的にちょっと長いイメージはあったものの、その年のAJCCを勝利しており2200mは何とか走れる守備範囲とみられていました。
そして前走安田記念でハートレイクを猛追した強烈な末脚、あの末脚を遺憾なく発揮できれば…、恐らくそう考える人が多かったんだろうな、と思いました。
個人的にはこの宝塚記念は個人的に大好きなナリタタイシンが屈腱炎から不屈の闘志で復帰してきたレースということもあってかなり盛り上がっていた宝塚記念でした。
しかしこの宝塚記念はライスシャワーの悲劇がレース中に起こり競走中止、大好きなナリタタイシンは見せ場なくシンガリ負け、一番人気のサクラチトセオーは着外に敗退、と波乱の結末。その波乱のレースを制したのが二番人気のダンツシアトルでした。
衝撃的な展開が次々と起こったこの宝塚記念、実はこのとき知らなかったのですが山内研二調教師はこのレースがGI初勝利でした。
桜花賞二勝を始めクラシック四勝のトレーナー
山内調教師はクラシックレースを四勝しています。そのうちの一勝がダンツシアトルで宝塚記念を制した翌年の皐月賞、イシノサンデーでの勝利でした。
当時のイシノサンデーは流行のサンデーサイレンス産駒とはいえ、同期にはダンスインザダークやロイヤルタッチといった名馬の弟が話題の中心になっており、必ずしも本命視はされていませんでした。実際ラジオたんぱ杯3歳Sで一番人気に推されたもののロイヤルタッチの二着に敗退、翌年ジュニアC勝利をステップに弥生賞で一番人気に推されていたもののダンスインザダークの三着に敗退、重賞ではいずれも世代の中心だった二頭に敗退していました。
それが皐月賞では直線力強く抜け出し、ロイヤルタッチの追撃を振り切って勝利します。鞍上の四位JKのGI初制覇は山内厩舎のイシノサンデーでした。
思えば、その四位JKと山内調教師の引退が同時にというのもなんだか縁を感じます。
その後も重賞連勝で桜花賞一番人気(結果は11着に終わる)に推されたダンツシリウスとか、本番では掲示板くらいだったけど前哨戦は強かったオレンジピールとかをクラシックに送り出しますが、本番では善戦止まりでした。
そんななかで一番人気だったチューリップ賞大敗からの巻き返しで桜花賞を制したチアズグレイスの勝利でイシノサンデー以来のクラシック制覇を達成します。
この桜花賞は勝ったチアズグレイスだけでなく三着にシルクプリマドンナ、五着にサニーサイドアップと掲示板に三頭も管理馬が載るという成績、このときは驚きましたが、二戦目のオークスでは桜花賞上位の三頭出しでシルクプリマドンナの勝利にクビ差で桜花賞馬チアズグレイスとワンツーフィニッシュを決めており、再び驚かされました。
その後、桜花賞は二勝目、13番人気の大穴アローキャリーでの勝利でした。しかし、このときは人気馬サクセスビューティーも桜花賞に送り出しており、"二頭出しは人気薄を狙う"という競馬の格言を思い知ったものです。
ダンツとチアズのイメージ
GI勝利に如実に表れていますが、ダンツとチアズの冠名には山内厩舎が定番でした。
ダンツシアトルの宝塚記念勝利から時を経て、ダンツフレームの宝塚記念勝利で二勝目を挙げた山内調教師、このときはローエングリンの三歳で宝塚記念挑戦のレースでした。ただしこのレースに限れば本命は訳あってフサイチランハート、思えば思い出深い馬が出走したとき、山内厩舎の勝利があったような(そして自分の本命は最下位に沈む)なんとも言えないところがありました。
2003年京阪杯、不良馬場の中を14番人気で勝利したチアズブライトリーはそれまで中京3歳S(当時、今の中京2歳S)とすみれSを勝利したオープン特別を勝利しただけの馬でしたが、コツコツと重賞やオープン特別を走り、14番人気の低評価を跳ね返す京阪杯勝利を掴み取りました。このときの二着はダンツジャッジ、山内厩舎のワンツーフィニッシュでした。
山内厩舎のピンクのメンコと額のマーク、がおなじみ
ダンツとチアズの冠名にはやはりピンクのメンコが似合う、額に家紋をあしらったピンクのメンコは山内厩舎のトレードマークでした。
実はこのメンコの家紋、長い間「山内家の家紋」だと知らず、てっきりベンツマークだと思っていました。
なので、長いこと「山内厩舎のベンツマーク」という発言を方々でしまくっていました。(※だって競馬始めた時に、教えてくれた人がみんな、「山内厩舎のベンツマーク」って言ってるから…)
実は山内調教師はどうも戦国武将である山内一豊の末裔らしく(又聞きですが)、その山内家の家紋が額にあしらわれているらしいのです。
ですが、遠目にはベンツマークにしか見えず、勘違いしちゃった、ってことのよう。
うーむ、深いですな。
そもそも、信長の野望を全国版から始めて、戦国群雄伝、武将風雲録、覇王伝(ここでクリアできず挫折)とやってきた人間からすると、ゲームに登場する戦国武将の末裔ってだけでなんか良家の出自って感じがしてきます。
とかく、家紋をベンツマークと勘違いしていたので、これ以降はベンツマークという表現が出てきます。
競馬仲間の間では「ベンツマークは労働者の証」とも
とにかく息長く走り続ける、また、ちょくちょく賞金を加えて帰ってくる厩舎の馬が多く、派手に活躍するよりは、無事是名馬を地で行き、ケガも少なくコツコツと賞金を稼いでくる馬が多いことから
「山内厩舎のベンツマークは労働者の証、だよね。」
なんて競馬仲間とは話しするようなことがありました。
例えば、ザ・労働者として覚えている一頭がギガトン。
重賞勝利もなく最高成績はマヤノトップガンが勝利した阪神大賞典での三着が一番(ちなみにこのときの鞍上は熊沢JKでした、アツかった。)という、決して派手な活躍をした馬ではないのですが、成績をよく見ると、定期的に自分の自己条件や格上挑戦で二着や三着を獲得しており、定期的に賞金をくわえて帰ってくるという馬主孝行な一面が見えます。(当時としては)息の長い活躍を続けており、山内厩舎の育成の腕が見え隠れします。
他にもチアズサイレンスという労働者もいます。
最高成績はスプリングSを二着(あるいは当時グレードが定まってなかった地方交流の東海ダービー(名古屋優駿)の勝利)が目立つ程度なのですが、その後も定期的に二着や三着を繰り返しており、勝てそうなところをコツコツと走って賞金を稼いでいます。
サンデーサイレンス産駒らしい気性の激しいタイプで、去勢という選択肢もあったんじゃないかなぁと想像しますが、結局息長くコツコツ走り続けて最後は障害レースまでを走り切って、サンデーサイレンスの血筋を評価され種牡馬入りします。
産駒にはそれほど恵まれませんでしたが、この馬も馬主孝行だったように思えます。
他にも…
安田記念二着のコンゴウリキシオーなんかもインパクトの大きい馬名で記憶に残る一頭です。
そして10年以上の時を経て、再びGIを手にしたのは2016年アポロケンタッキーの東京大賞典でした。
アポロケンタッキーはこのブログを始めた最初の年に、
気になるレース:今日は東京大賞典 - SpecialなWeekを目指す競馬日記
で、狙って面白いんじゃないか、と考えていたら東京大賞典を勝利、当時は地方のダートレースにはあまり手を出していなかったのですが、交流レースを含めたダート路線の面白さを教えてくれた一頭。
いろいろな思い出を作ってくれた山内厩舎の名馬たち。
心からの御礼とお疲れ様でした。